SixTONES 8thシングル「ふたり」MV(YouTube Ver.)考察

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 SixTONESのMVで考察を初めて書きました。いやぁ、衝撃的すぎて。純愛ラブソングっていうからさ、言い方悪いけど、温かな美しいMVだね、そんな単純な感想で終わると思ってましたよ。それがまるっきり騙されました。一筋縄じゃいかなかった。

 

 歌詞に沿ったような朝を連想させる屋上のシーンから始まるMV。メンバーそれぞれがどこか寂しそうな表情で、目線で何かを追いかけている。切り替わるシーンそれぞれ光や風を感じさせるからか、現実を切り取ったようで。時折現れる女性の手やシルエット、花瓶越しに見える女性、2つあるコップや鍵、SixTONESのMVだからそりゃ女性がガッツリ映ってくることは無いだろうけど、意図的に見せられる女性の影はあまり現実的ではないようにも見えていた。だからこそ、独り孤独に言葉を紡ぐSixTONESメンバーは、パートナーを失って孤独に現実を生きる側だと思っていた。想い出(対象の存在、強い思いを指したいのであえてこちらをチョイス)に浸ってあの幸せだった時間を思い出している、そんな現実世界を描いているのだと。でも、その考えは裏切られる。実はこの現実世界で生きているのはパートナーだけ。ふたりの想い出の物に惹きつけられるようにして6人が帰ってきたのか、いなくなった彼らと共に過ごす白昼夢か。いずれにしても、沢山の洗濯物を干した屋上・陽が差し込むバスタブ・海辺まで走ったバイク・あおいちゃん・プロジェクターで観た映画といったありふれた、でも2人にとっては幸せを感じていた場所や物と共にいなくなったはずの人が現れる。

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 2:10「ほら迷わず進もう いつも貴方のそばにいるから ずっとずっとふたりで どんな明日を」という歌詞と共に窓が映し出される。夕方の空に雨雲のような雲が流れていく。ここまで、どのメンバーの風景にも夕方の描写はない。時間経過を表しているのかと思ったが、これ以降も夕方と示される場面は出てこない。束の間の逢瀬も終わりを迎えようとしている、ということを示しているのかも。そして樹と女性が手を引っ込める、きょもの前にいる女性が消えるといったわかりやすく印象的な離別が描かれている。

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 ここから、順番に個々のシーンへと移る。まず北斗。少し笑った後に泣くのをグッと堪えたように部屋を出て行き、大空に向かって伸びる大きな橋をひとりで歩いて行く。部屋を優しく見つめる慎太郎も、後ろを全く振り返らずに風呂場を出ていく樹も橋を歩いていく。慎太郎ー!そんな優しい表情しないで、愛おしさしか無いのよ。(歌っていることもあるけど)何かを叫んだようなジェシーも、哀愁がありつつも少し口角を上げた髙地も足早に橋を歩いていく。5人はそれぞれ、自分で決心したように想い出の場所を離れていく。そして集まってくる橋はあまりに現実離れしている。全く動かない雲、服が濡れていない樹。ここまで丁寧に作り込んだMVで意図的に作られた、時が止まっている場所。そしてついにやって来てしまうきょもの別れ。個人的にはきょもの表情だけずっと悲しみが見え隠れしているように思う。「ずっと ふたりのまま」という歌詞に反するように、桜の花びらに導かれるように身体が消えていく。終わりや死の象徴である桜の花びらが、きょもが消えた後に1枚だけ舞い込んでくる。本当の終わりを示しているような印象的なシーン。また場所は変わり、先の5人と同じように橋を歩いていく。気持ちゆっくりな気がするのは私だけ?5人はきょもが来るのを待ってから、6人で歩き出す。後ろを振り返らず、しっかりとした足取りで。ふたりというタイトルの下を。

 もしかしたら、きょも以外の5人は想い出の場所に帰ってくるのは初めてのことじゃないのかもしれない。自分が亡くなった後も思い出と共に前へ向かって人生を歩んでいるパートナーを、何度も何度も見届けに来ている。あなたの名を・私の名を呼ぶことしかできなくても。でも、北斗の手元にあるグラスが片方空っぽだったり、樹の歩いた後に水溜りができていることを考えると自分が来た痕跡をパートナーに残すことはできるのかもしれない。まだふたりの歩みは続いているとパートナーが気づけるように。

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 そしてきょも。他5人が昼間の描写なのに1人だけ夜、身体が消えてしまう描写。「歩いて行こう ずっとふたりのまま」この意味をきょもはまだ悟っていないのかもしれない。パートナーは自分の想い出と共に、明日という人生を歩いていくことができることを。きっとそれを理解して飲み込むには時間が必要でしょう。花瓶に生けられた一輪の花に向かって降り注ぐ桜の花びらが、消えてしまう自分の存在を残すためのようで。ふたりの新たな想い出を残して橋へと導かれていく。

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 6人は現実世界でも仲良しだったのか、同じ境遇なだけかはわからない。きょもの顔を見て笑顔の5人。「あの子、(明日に向かって)歩いてただろ?」「俺らの言った通りだべ(あえて樹をチョイス笑)」そんな短い会話をしていそうな穏やかな雰囲気。そして橋の向こう側へと、今彼らがいるべき現実ではない場所へと(きょもは初めて行くのかも)歩いていく。人生は束の間かもしれない。でも互いの人生が交わった時間は幸せや色々な感情で色づき、そこからの人生は自分ひとりの時にはなかった方向へと進んでいく。それは例え今、パートナーがいなくても。ふたりの人生であることに変わりはない。

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「マスカラ」「わたし」のMVもストーリー仕立てだったけど、今回はまたひとつ違うと思った。全員が芝居経験者ということも少しはあるかもしれないけど、表情や動作ひとつひとつに意味が込められている気がした。また、歌声がズルい。声だけで切なさや儚さや温かさ、色々な感情を届けてくれる。ショートバージョンのMVでここまで文章かけるとは。これはフルMVが楽しみでなりません!(盛大な前振り)

  私的考察ぶちまけ長文乱文失礼致しました。とにかく一緒に何度もMVを見て、秋の夜長に哀愁に浸りませんか。一緒にふたりの沼にどっぷり浸かりませんか…。お待ちしております。